http://d.hatena.ne.jp/moistly/20080424の続き。

おれが編集という思想に目覚めたのは、中学時代の国鉄さんとこのMのおかげだったといえる。Mは工作舎のオブジェ・マガジン『遊』や、ハードコア・オカルト雑誌『地球ロマン』の愛読者だった。これにニューウェーヴ・エロ本『ヘヴン』を加えれば、七〇年代〜八〇年代初頭の三大カルト雑誌が揃うことになる。
それらの雑誌に通底していたものは、かっこよく言えば「編集」という行為がひとつの思想でありアートであることの高らかな宣言だった。「編集の時代」がすぐそこに来ている気がして、おれはひたすら興奮していた(結局、コピーライターがブームになったような形では、エディターの時代なんて来なかったわけだが)。
Mは、特に『遊』の編集長である松岡正剛に心酔していた。現在の松岡に昔日のおもかげはないが、いま『遊』の編集後記を読み返してみると、あれがいかに異常な雑誌だったかがわかる。それはスタッフ一同の松岡に対する「信仰告白」のようなものだった。読者欄では、香山リカ浅羽通明祖父江慎といった学生がそれぞれの「信仰告白」をしていた。松岡正剛は屈折した知的若人のカリスマであり、工作舎は疑似宗教団体みたいなものだった。古本屋で『遊』を見かけたらぜひ立ち読みしてほしい。気持ち悪いぞ。
おれたちの作っていたエロ本もこうした流れにどっぷり影響されていたから、何も知らずに買った読者はお気の毒としか言いようがない。何しろただの一ページもセンズリ・ポイントがないのである。ページを開けていきなり『タオ自然学』の著者と今西錦司の架空対談が始まったりするのだからこりゃサギだわな。
クイック・ジャパン」3号より。