twitterから抽出した小説らしきもの

ジャンキー (河出文庫)

ジャンキー (河出文庫)

おぼえていないときもある

おぼえていないときもある

またまたtwitterで書いたバロウズを元ネタに料理した小話*1をまとめてみました。本当はもっと書き溜めてからポストしようと思ったんだけど、時事ネタは鮮度が命wなのでまとめてみました。
ではどうぞ。

2011年4月17日日曜日。秋葉原駅到着。2ヶ月ぶりの訪問。この前いた時にはソフトウェア会社に勤めていた。「商売道具ね」とビデオカメラを触って駅員は言う。駅から大通りの歩行者天国に向かうオレ。ある候補者到着のためにおよそ1000人の支持者が迎えるそのほとんどがオタク。驚くほど多くの警察。非常に感動的であとから振り返って見れば非常にむなしいことだっだ。
4月17日午後。メイドカフェでオタクたちと会話して過ごす。コミックLO中毒のオタクは東京都の問題を簡潔に表現した。「都条例反対。この都市が腐ってゆくのが待ちきれない」この会話を撮っていると隣の席に座っている客が寄ってきて言う。
「容量の無駄だよ」
大通りの歩行者天国に戻るとポリどもが公平にオタクマスコミ一般人に棍棒を食らわせている。つまるところ秋葉原に来るような人間は無垢な存在ではないわけだ。

  • 最後の手段真実

場面は2011年秋葉原歩行者天国。日の丸を帆にかけたメイフラワー号のフル・スケール・モデルがしつられている。凰火はアンクル・サム・スーツを着て壇上のマイクに駆け寄る。
「紳士淑女の皆さん、この方を紹介させていただくのは大変な名誉であり人も羨む特権であります。名望高い地下帝国・シャングリラで唯一神として崇められている乱崎凶華です!」
『リパブリック賛歌』とともに日の丸がふたつに割れスーツ姿の乱崎凶華が現れる。(雷鳴如き拍手)意味ありげにそこここに立つ黒服のシークレット・サービスにマイクまで導かれた凶華は当惑してまばたきをする。
「東京都の歴史におけるこの暗黒の時、われわれの心を深く悩ませる問いがある。わたしはそうした問いに答えるぞ。第一の問いは福島の原発だがこれはたいした問題ではない。反原発派を止めなかったら奴らはわれわれを飲み込んでしまうだろう。(嵐のような拍手)」
「そしてここではっきり指摘したい、この責任はひとえにこれまで原発についての議論を犯罪的にためらいつづけた点にある。さあ、あいつら(反原発派)に尻を向けてるつもりか?(いや!いや!いや!)どんな犠牲をはらっても原発を使用し続けるか?(そうだ!そうだ!そうだ!)約束しよう、たとえ100年かかろうともわれわれは勝つ。なんなら東京湾原発を建ててもいいんだぞ!
都条例は?(いってやれ凶華)「都条例!都条例!なんとあれは完璧なんだ。それでは石原慎太郎嫌いの薄汚いならず者ども、オタクとか漫画家、エロ漫画家とかはどうするのか?こいつらはけもの並なんだからけもの並に檻に放りこんでやれ。(嵐のような拍手)そしてさらにもうひとつ。DNAの狂ったおかまや同人オメコ作家、堕落したコミックLO中毒者ども。そんな奴らは東京都から追い出してやる(檻に居るサルがマスをかきはじめた)奴らをここに引っ立てて、上品な東京人らしい振る舞いってのを教えてやる(サルは射精し、精液は週刊ポストの記者のカメラマンのレンズにかかる)わたしは誓う時計を2011年のままに、コミックLOが買えない時代にしよう。(飛行機が空に雲で×6sukeのタッチの凶華と2011年、と書くのを見て嵐のような拍手)」

元ネタは「おぼえていないときもある」+時事ネタ+「狂乱家族日記」。元ネタは現実に起きた「1968年の民主党大会の悲劇」(詳細はググれカス)を元にリポート風小話。イッピー(これもググれ)をオタクに変換。前半が本気風なリポートで後半が皮肉小話(だと思う)。自分の書いたものが本気か皮肉かどうかは読む方に任せますw
まぁ、これらの問題は鑑みるにバロウズ流にある程度突き放して見たほうがいいのではないかと思います。

場面は病院の待合室。とんでもない量の薬をだす、流行らない病院。むりやりつれられてきた。テレンス・マッケナの「神々の糧」を読んでると。おれを呼ぶ声。
医者はどの病院でも口にする質問をした。「moistly君、どうしてきみはロリコンエロ漫画が必要だと思うのかね?」この質問を耳にしたら、その質問者はロリコンエロ漫画のことは何も知らないと確信してかまわない。
「朝ベットから起き出し、ひげを剃り、朝食をとるために必要なんだよ」「私が聞いてるのはその心理だよ」おれは肩をすくめた。それなら、こいつがさっさと引き揚げるように思い通りの診断をさせてやるほうがましだ。「いい気分になれるからだよ」
ロリコンエロ漫画は「いい気分」になれるものではない。常用者にとって一番の問題はそれが習慣性をつくることだ。コミックLOが品切れときの苦痛を味わうまではロリエロ漫画が何であるか誰にもわかりはしない。
医者はうなづいた。精神病質者だ。医者は立ち上がって、急に顔をほころばせて微笑を浮かべた。それは明らかに、物分りのよさを示しておれの無口をときほぐそうとする微笑だった。微笑は最後は気違いじみた流し目になった。医者は前にかがみこみ、その微笑をおれの顔に近づけた。
「異性との交際はあるのかね」と医者は聞いた。「ああ、あるとも」とおれは言った。「おれが幼稚園の頃ね」医者は上体をまっすぐに起こした。俺の返答は全然気にくわなかったのだ。
「では、また会うことにしよう」。医者は顔を赤らめ、ばつが悪そうにさっさと処方箋を書き始めた。部屋に入って姿を見たとき、おれはこいつはペテン師だと思った―その場をつくろったお芝居をやらかしているのはわかっていたが、同じ見せかけにしても、もう少しましなのを期待していたのだ。
医者は、おれの予後は非常に悪いと親に言った―この患者のロリエロ漫画に対する態度は「それがどうした?」という挑戦的なものだ。このような態度の患者は、そういうような心理的因子が矯正されずに残っているから、当然ぶり返しがあるものと考えられる。だから患者本人が協力する気にならないかぎり、どうにも手のほどこしようがない…… どうやらこの医者は、おれが協力すれば、八日間でおれの精神をばらばらにして組み立て直すつもりらしかった。

元ネタは「ジャンキー」。
麻薬をロリコンエロ漫画を変換。後に自分をコントロールするものはなんであれ麻薬であり脱出すべきである……と「裸のランチ」+カットアップ3部作で表現するバロウズですが……彼の半生を見てると、読者としてはそんなこと言えた義理かと言いたくなります(このことについては山形浩生著の「たかがバロウズ本。」が参考になる)。

いかかでしたでしょうか。前述したとおり時事ネタを含んでいるのでこの時期にポストしました。またしても稚拙な文章になってしまいましたが(再三言いますが)バロウズの小説は非常に創作にかきたてられるもの。これを機会に読んでみてはいかが?